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水陸両用自走式船台 

フローダー製作までのストーリー

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大学時代の内藤社長

セイリングクラブの歴史

内藤社長は、大学時代から始めたレーザー級のセイリング文化を地元山口県でも広めたいと思い、クラブハウスを建築し、気の合う仲間5人と共に 1985年ヨットクラブCAPE  HOUSE を立ち上げた。

そのヨットクラブは、メンバーが続々と増え30人を超えるクラブに成長した。

ヨットクラブは、国内選手権の開催や毎月のフリートレースの運営を行うために、
レスキューを兼ねたパワーボートを購入した。

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困難からインスピレーションを得た

当時ヨットクラブは、パワーボートを近くの漁港に係留していたので、漁港まで車で10分、クラブハウスまでの回航に20分を要した。そのため稼働率が低かった。

内藤社長は「目の前のビーチから出し入れすることができれば毎回出艇できるのになあ」と思っていた。

また、係留船は船底に付着する藻や貝殻などの除去やメンテナンスが必要となるため、メンバーは、1時間近くかけて整備設備のあるマリーナへボートを持ちこむという労力を費やした。

1999年夏、猛烈な台風が山口県を襲い、係留していたボートが漁港で沈没してしまった。

それを機にヨットクラブは新しくモーターボートを購入した。

そのボートは、メンバーが古タイヤを利用して制作した船台を使用し、メンバーが船底の掃除やメンテナンスをしていた。(2002年まで)

その作業は、メンバー数人が腰まで浸かりながら、船台をビーチから水深1m位まで押し出し、そこへボート(23ft)を入れ、その後長いロープを使って4輪駆動車で牽引するというものだったが、固定された船台にボートを乗せる作業は、強風時では波とボートの横滑りでとても難しかった。

そのとき、内藤社長は、ボートのステアリングを持ちながら、「そーだ、このまま船台と一緒に沖まで行って、そこで船台から出入りすればいい」と考えた。これがフローダーシステムの発想のきっかけとなった。

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フローダーの誕生

そこから、内藤社長は動力を伝える構造、メンテナンス、製造コストなど吟味してゼロからスケッチを作成。

2002年秋、内藤社長は、所属する異業種交流会(建設土木省力化研究会)に、製造を提案した。

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フローダー1号機

そして、フローダー1号機はその研究会の協力を得てヨットクラブの設備として誕生した。

フローダー1号機は、14年経つ現在もヨットクラブレスキューボートの船台として海へのアクセスに活躍している。